悲しみと哀れみ ―占領下にあったとあるフランスの街の記録/マルセル・オフュルス

 私が好きな映画監督のひとりにマックス・オフュルスがいる。
 「オフュルス」なんて、オフュルスしか知らない。だから、「オフュルス」の文字が見えるとこれはもう当然の「マックス・オフュルス」だと思い込む。それがいけなかった。 

  日本初公開『悲しみと哀れみ』
マルセル・オフュルス

 「マックス・オフュルス」ではなく息子の「マルセル・オフュルス」だと気づいたのは予約後のことだった。わたしは息子の存在すら知らずにいる盲目なマックス・オフュルス・ファンだ。正直いって内心がっかりした。でももう予約後だ。せっかくの日本初公開『悲しみと哀れみ』を観てみようではないか。249分!(第一部「崩壊」(121分)と第二部「選択」(127分)の間、15分の休憩あり)

■ 基本情報
邦題:悲しみと哀れみ ―占領下にあったとあるフランスの街の記録
原題:Le Chagrin et la pitié
製作:フランス=スイス(1969年)/モノクロ/249分 
監督:マルセル・オフュルス 
舞台:フランス中部の都市クレルモン=フェラン(ナチス占領下 1940–1944) 

■これは第二次大戦中の占領下フランスを、都市クレルモン=フェランに生きた人々の証言を通して描くドキュメンタリーだった。
 登場人物はユダヤ人議員、元SS志願兵、農民、薬剤師、同性愛者のスパイ、レジスタンス、協力者などで、多様な立場の人々に監督自身が直接インタビューし語ってもらい、その言葉とニュース映像や記録映像とのモンタージュといえる。 
 それは、よく耳にする「英雄」とか「裏切り者」というような二項図式ではなく、占領下での“普通”に潜む恐怖と道徳的ジレンマが見えるものだった。

■ 製作背景
1969年春、テレビ放映用の企画として撮影が始まる。オフュルスと共同製作者アンドレ・アリスは、ヴィシー政権に近い地方都市で取材を重ね、戦時下の人間模様と社会構造を克明に記録。政治家から庶民まで、ドイツ・イギリス・フランスの視点を並置することで、1939〜45年のフランス社会を多角的に描いた。

■ 公開と反響
 1971年にパリの小劇場で限定公開されるや大きな反響を呼ぶ。フランス国営放送が放映を拒否したことも相まって口コミで広がり、全土で上映、87週間・約60万人動員の大ヒットとなる。作品は「ナチス占領への抵抗で団結したフランス」というド・ゴール主義的な国家神話を崩壊させ、社会的論争を巻き起こした。 

@https://culture.institutfrancais.jp/event/cinema202510041400

 実際に249分を通して体験すると、語られてきた「歴史的意義」や「社会的衝撃」といった言葉では捉えきれないものがある。 スクリーンの中で語られる声はそれぞれの立場があり、人生には良いも悪いもないと思った。
 全体として監督はどの立場にも偏らず中立的に扱い、判断を下すことなく記録することに成功している。家族の前で興奮気味に話す薬剤師は、過去の体験が自らに刻み込まれているせいで無意識のうちに皮肉なコメントをしていてリアルだと感じた。
 その人が経験したことは真実であり、それ以外のなにでもない。それは現代においてももちろん同じだ。つらくかなしいときが大半で、うれしいことが少ししかないと感じても、数時間経てばまた翌日になり、仕事に行ったり犬の散歩にでかけたりスーパーに買い物にいく。環境が大きく変わるとそういう日常でなくなるかもしれない。でも、やっぱり翌日がくる。永遠にオチがないまま続いていく。つまり、大きなことが終わったような気でいても、それも通過点でしかすぎないし、あるいは何も起きない退屈な日々かもしれない。どんなふうに生きているにしろ結構しぶとくやっている。きっと最後の日まで。そんなことを考えた。