「怒り」の奥にあるもの ― アサーション講座
最初は「うまく自己主張する技術」のように思っていたアサーション。しかし、講座で学ぶうちに、それは単に伝え方の問題ではなく、「自分と他者の両方を尊重する姿勢」そのものだとわかってきた。
アサーションの基本は、「私はOK、あなたもOK」というやつである。検索すると、こう書かれているがこれは一体どういうことなのか。そもそもそんなことが可能なのか、と薄ら疑問がよぎる。実際これは、自己犠牲でもなく、相手を押し込むでもない。互いに気持ちの中にもやもやを残さないための、対話のスタンスだ。…いやだから、どうやって?
方法①「Iメッセージ」
自分の感情を「あなた」ではなく「私」を主語にして伝える方法。
■状況:長年一緒にいる恋人が、約束を破って姿を見せない。
この例では「怒り」や「悲しみ」を直接的に相手へぶつけるのではなく、自分の感覚や心の動きを描写して相手に伝えている。
Iメッセージの本質は“自分の内側から語る”だ。 たとえば非Iメッセージでは、相手を責める攻撃的言い方になっている。しかし、自分が「取り残されたように感じた」寂しさを伝えると、同じ出来事がまったく違う形で伝えられる。 相手を非難するのではなく、自分の感情と要望を明確にすることが、この技法の目的である。
■非Iメッセージ:「あなたっていつもそう。人を待たせてばかりで、もううんざり。」
■Iメッセージ:「あなたが来ない夜、私は時間が止まったまま取り残されたように感じた。待つという行為が、私の中で痛みに変わっていくのがわかった。」
Iメッセージの本質は“自分の内側から語る”だ。 たとえば非Iメッセージでは、相手を責める攻撃的言い方になっている。しかし、自分が「取り残されたように感じた」寂しさを伝えると、同じ出来事がまったく違う形で伝えられる。 相手を非難するのではなく、自分の感情と要望を明確にすることが、この技法の目的である。
方法②「DESC法」
「事実(Describe)」「気持ち(Express)」「要望(Specify)」「結果(Consequence)」を順に伝えることで、感情的になりやすい場面でも整理された対話ができるというものだ。
D(Describe:事実を述べる)
── あなたは約束の時間になっても来なかった。
E(Express:気持ちを伝える)
── そのとき私は、時計の音がやけに大きく聞こえて、取り残されたような寂しさを感じた。
S(Specify:具体的な要望を伝える)
── 次に遅れそうなときは、ひとこと知らせてほしい。
C(Choose:相手が行動した場合の結果を示す)
── そうしてもらえると、私は安心してあなたを待てると思う。
…となる。理屈としては理解しやすいが、実際に怒りを伴う場面で使うのは難しいだろう。だって、感情が先に出てしまうから。近しい間柄では特に難しそう。ある程度の距離がある人とのコミュニケーションでのほうが使えるかなと思った。
この講座は技法を受けてから、「怒りの正体」についても考えさせられた。怒っているときは冷静ではない。だから冷静に自分の怒りを分析するなんて困難だ。だから怒っていないときに怒りとふりかえる。
この講座は技法を受けてから、「怒りの正体」についても考えさせられた。怒っているときは冷静ではない。だから冷静に自分の怒りを分析するなんて困難だ。だから怒っていないときに怒りとふりかえる。
怒りは突発的に見えて、実は段階的に高まっていく。
最初の違和感――「あれ、なんか違うな」という感覚を見過ごすうちに、「困る」「やめてほしい」「やめろ」と表現が強くなっていく。
私の場合、この初期段階で感情を抑え込み、「言っても無駄」と思い込む癖があった(そう、「言っても無駄」は思い込み)。その抑圧が限界を超えたとき、怒りとして爆発している。
講座では、この構造を「パッシブアグレッシブ(受動攻撃的反応)」と呼んでいた。
非主張的な立場から一転して攻撃的な言葉に変わるとき、その裏には「怖い」「悲しい」「理解されない」といった一次感情が隠れている。
怒っているように見えるときほど、本当は「守りたい」「わかってほしい」という願いが潜んでいる。!?たしかに、図星だ。
こうして学んいくことは、単なる話し方のテクニックではなく、感情の背後にある本音を見つけるための手がかりだった。言葉をどう使うかよりも前に、「自分がどんな気持ちでいるのか」を正確に認識できているかどうかがすべての出発点だということだ。
私は、相手にわかってもらえないと感じた瞬間に、無意識のうちに「戦うか、黙るか」の二択を選んでいた。
そのどちらも、自分を守るための反応ではあったけれど、結果的に相手との関係が良くなってはいない。さらに、「怒り」はその結果として現れる副産物であり、実はその奥に、「怖さ」「孤独」「悲しみ」といった別の感情が隠れていた。
アサーションの実践は、その隠れた一次感情を丁寧にすくい上げる作業でもある。
たとえば、「私は悲しかった」「わかってほしかった」「大事にしたかった」という言葉を、自分の中で先に認めてから相手に伝えると、不思議と力で押し通す必要がなくなる。
それは自分の弱さを見せることでもあるが、同時に、そこにこそ人と人との対話が生まれる余地があると感じた。 ただ「自分の本当の気持ちを言葉にすること」。
それがアサーションの核心なのだと思う。 相手の反応がどうであれ、自分の感情を大切に扱うということが、結果的に人間関係を柔らかくしていく(たぶん)――そんな実感を得て、今宵も銭湯に向かうのだ。
